3/26/16

BE SELFISH



なんだか先週末から気づきの波がすごくて
もう本当に地球の大転換期なんだなぁ、と感じています。

必要だなあ、とちょっと思っただけで
放っておいても宇宙がどんどん与えてくれるんです。
気付くための本や、サインや、普通に日用品や食品など多岐にわたり。笑

宇宙やかみさまに質問しても、返事がかなり早い。
即答に近くなってきました。
よく考えると、今までも即答してもらっていたんだろうな。
でも信じられないと、気づかず見逃しちゃうんですよね。
今までごめんねーかみさまー宇宙ー天使たちー!



さて、最近ずっと今後の仕事について考えてきた私です。
でもよく考えると、2014年辺りから
「このままじゃいけない」
を繰り返してきました。

A.その時はとても恵まれた環境でしたが、もっと好きな仕事に就きたかったんです。
B.その次は、書いていた通り、外側の条件は最高だけど、仕事の内容も職場環境も合わなかった。
C.その次が現職で、仕事はすごく楽しいし恵まれているけど、会社の理念ややり方が合わない。

どの職場でも、私自身はすごく優しくして貰えましたし
心が通じる友人も必ず出来て、人には恵まれたなあ、と思っています。

でも、
Aの職場までは
「本当にやりたいことをやる」勇気がなかったので呑気な仕事をしていました。
そして同職場で「本当にやりたいことをやっている」人達がみんな忙しそうだったので
「呑気な自分」を責め始めました。

そこで、「忙しく働く」職場が必要だと思い、Bに入りました。
でも「何がやりたいか」ではなく「どういう自分だと認められるか」にフォーカスして、
逆を言うと「忙しくしていない自分はダメ」と思って入ってしまったので
周りの人が「お前はダメだ」と怒鳴りつけれている職場になってしまいました。
みんな人生の目標が無く、ただ叱られて目の前のタスクを必死にこなしていました。

そこで「忙しくしているだけではダメだ、好きなことをしないと」と思い、Cに入りました。
でも皆さんお気付きの通り、私は「◯◯でないとダメ」を結局繰り返していたのです。
結局、周りの人達はみんな「認めて欲しい」人だったので「認めてもらえない」と毎日愚痴ばかり、
トップは社員を怒鳴り散らしていますが、本人も認めてもらうことに必死なのです。


この2年弱の間に、私はやっと「目覚めて生きて」きました。
もちろん10年ほど前から精神世界を探求してきましたが、
やっと自分の意思と力で世界と対峙し始めたために、
自分にとって良く働かない思い込みがどんどんと浄化される為に表面化してきました。

ここにきて初めて私は
「ありのままで常に愛されている」存在として
自分を受け入れ始めました。

そうして初めて

「何が選択の基準になるか」

がやっとわかったのです。
それはもちろん

魂の喜び

でした。

でも笑えることに、基準は常に「魂の喜び」であるって
もうどこにでも書いてあるんですよ。笑

でも私は「魂の喜び」というものを
やたら難しく考えていたんです。
考えていたというか、多分結構前世で刷り込まれていたんですね。

修道僧や修道女の時とか多かったみたいですし
宗教的な罪の意識を抱えて自殺したり
身分の差に悩んで苦しい人生を生きたり
正義を貫こうと一生辛い道を選んだり
大きな権力を持っていて人を苦しめた時もあったみたいです。

「前世消化月間」だった時期にほぼ夢で見たんですが
まあ「苦しい悲しい」が多くて多くて笑
夢から覚める度にドッと疲れていました。
ただでさえ長い人生を走馬灯のように見るので疲れるのに
感情がついてくるんです。キツかったなー。はぁ。

そんな私にとって「魂の喜び」って
なんかもっとこう

*・゜゚・*:.。..。.:*・崇高・*:.。. .。.:*・゜゚・*

なものだと思っていたんです。

俗世感が無くて、聖人が感じるような喜び
それが「魂の喜び」だと思い込んでいたので
「ただワクワクする方を選べばいいんだよ。」
と言われても、なかなか感覚として違和感があったんですね。

正直、俗っぽい願い事を叶えようとしている自分を軽蔑していましたし
同じようにそういう人達を嫌ってもいました。
常に心を広く持とうとし、頑張れない自分にダメ出しをしていました。

頑張る、耐える、受け入れる、許す
上機嫌でいる、人の役に立つ

それが正しい姿であり、
それ以外の時の自分は間違っているのだと
自分を責め続けてきました。

そんな私は生まれる前に、自分を抑制する為に
「ワガママはいけない」と設定してきました。
だから小さな頃から、私の枕詞は「ワガママ」でした。笑
周りに言わせることによって、
自分がワガママであることを責めてきたのです。
よく短所に「わがまま」と書いていました。笑

でもこうして生きてきた中で少しずつ
「そのままで100点満点なんだよ。」
と言ってもらえたり、本で読んだりしていく内に
「ありのままでいる」ということがどういうことか
やっと分かってきたのです。

みんな、現状に疑問を抱いた時に種を手にいれます。
それを頭で理解した時は、自分の心の土壌に種を蒔いています。
それが腑に落ちた時、種は初めて芽吹きます。
そして結実の時に、それはついに現実化するのです。

私はいま、やっと芽が出てきたところです。
本当に、ちょっと。
「双葉が頭をもたげてまだ土がちょっと乗っている」状態かな。

でももう、私は知っています。

「魂の喜び」がどういうものか。

私だったら…
葉擦れの音や、暖かい空気
朝のコーヒーの匂い、雨が降る前の匂い
本の手触り、美しいデザイン
地中海の景色、ヨーロッパの空気
干したお布団の匂い、自然と目覚める朝
大好きな人達の笑顔

それをしみじみ味わい尽くすこと。
そういうものが「好き」って気持ちを常に選ぶこと。
そしてその気持ちを、いつも優先させてあげること。

そうすると、魂が喜ぶんです。

「ああ、いまめちゃくちゃ幸せだよ〜♪(^0^)/」


ワガママって「我が儘」って書きますよね。
「儘」って「ありのままでいること」です。
だから「我が儘」って「ありのままでいる私」という意味です。

だから私は自分を抑制しているつもりで
最高の自分の姿を周りに言わせていたんですね。
かみさまはずっと、そこに言葉遊びを仕込ませて
上で笑って見ていたのかもしれません。

私「かみさま、やっとわかったよ!」
神「おぬしもやるのう。」
私「おぬしもな!
神「…。」

az:ça

★.
「selfish」は気持ちのいい言葉です。
でも私はネイティブではないので念の為誤用でないか調べたら
サクっと素晴らしい記事を一発で引き当ててしまいました!
よろしかったら合わせて読んでみてください。
私は日本人も大好きだけど、欧米人のこういうところが大好きです。

日本人のわかっていない英語のselfishの意味

Custom Post Signature

Custom Post  Signature