10/6/16

観念と感情



秋の画像を無駄に貼りたくなる今日この頃。
みなさまこんにちは^^あづさです。


一昨日ふと、
青山の銀杏並木にあるカフェに行きたくなりました。
早速出かけて、仕事を少ししてきました。
青い葉がさわさわしていて、とても綺麗でした^^


カフェで仕事をしていると
隣に座っていた外資系にお勤めらしい派遣4人組が
大きな声でワイワイ話していたので
お話が全部きこえてきたのですが
驚くばかりの内容でついつい「ふむふむ」と聞いてしまいました。笑

どうやら皆さん外国で暮らした経験があり、
日本に戻ってきて取り敢えずそこで派遣しているみたいでした。
そこから聞こえてきた驚愕の?意見はこちら☟

・メールのCCの宛先を偉い順に並べろと言われたが理由がわからない
・そもそも誰が偉くて偉くないのかわからないのに、そんな面倒なことはしたくない
・偉い人に話す時には言葉に気をつけろと注意されたが、そんなことを言われたのは生まれて初めてだ
・人に気を遣うために使う時間を他のものに回した方が効率的だ
・日本社会は意味の無いルールばかりだ

なんて話していました。

多分他の国でも上下関係が厳しい会社ではなかったのと
英語は日本ほど敬語の差別化が無い言語なので(最後にSirをつけるとか)
その辺りもあって余計大変なんだろうな~とは思ったのですが

それを差し引いても
出てくる出てくる、
私とは全然違う観念。笑

聞いていて

「え?CCの偉い順って普通だと思ってた!」
「え?誰が偉いかわかんなかったら知ろうとしないの?
 まず最初に相関図的なものを教わらないのだろうか…」
「え?自分よりキャリアが上なら敬わないの?」

なんて思ってびっくりしたのですが
これも観念の差なんだな~、と。

「そういうところもあるって聞いてはいたけど。」

とならずに

「聞いたこと無いよそんなルール!」

ってなるところを見ると

自分が信じているルールが
全く存在しない世界があるんだなあ
と思いました。

これは、私の知っているルールと彼女達のルールの
どちらが正しいとか、どちらが良い、とかいうことではなく

ルールって気付かない内に、
外の情報や自分の思い込みで作っているんだなあ

ということです。
一種の刷り込みとか、催眠のようなものですね。
とても大きな気付きを貰いました。

私は目下、

「好きな観念を持って、要らん観念は捨てる」

をモットーとしています。

自分の持っている観念が好きなものじゃなかったら、
好きなもの、自分が心地いいものに作り替えています。

こうして私達は、自分だけの王国を作ることができるのです。
有り難いですね~^^




さらに今回隣のOLさん達の話を聞いていて感じたのですが…

彼女達は文句ブーブーでした。
「わかるわかる!あの人頭おかしいよね!」と。

それを見ていて

「確かに、自分の観念と違うことを強要されると
『私は正しくて相手が間違っている!』と言いたくなるな~(・・)」

と感じました。




そこには私自身が投影されています。
私にもそういう傾向がある、またはあったということですね。

で、何でかな?と思ったんです。

まず

「何できらいな観念にそこまで必死に抵抗したくなるのか。」

と感じました。


そして

「結局は他人の観念なんだから『ふーん。』と思って
 放っておけばいいものを、必死に抵抗したくなるのは
 “強要されるから” なんだなー」

と考えました。


そこから

「そもそもなんで自分がきらいな観念を
 人から強要される現実を作っているんだろう?」

という疑問が湧いてきました。


そこで思考の親玉が出てきました。

「『私はそれキライ。受け入れたくありません。』
 って人に伝えるのは、なんか狭量で器が小さくて
 ワガママな人みたいに感じる〜(.  .  )」

という思考でした。

私はそんな「器の大きい人に思われたい思考」でしたが、
「その場を穏便に済ませたい思考」なんて人も多いと思います。

まあ理由はどれにしろ、大事なのは
相手の意向に反対なのに黙って従ったという時点で

相手の観念 > 自分の観念

になってしまっているのです。

これは単純に

「自分は相手よりも大切な存在でありません。」

自分の潜在意識に伝わり、
宇宙に宣言したことになります。

そうやって自分の「きらい」という正直な気持ちを
自分自身でジャッジして押し込めていたから
グリグリ強要してくる人が現れていたのだな~、と気付きました。


私はここ数年やっと
誰かに、興味ないことやキライなことに誘われた時

「興味がありません」「それはキライなんです」
「それは納得いきません」「他のものでもいいですか?」

とサラ~ッ♪と言えるようになってきました。

自分の
「それキライなんだよね…」
という気持ちをジャッジしたり、無視するのをやめて
自分にも外に対しても認めることにしたのです。

すると強要されることがなくなりました。
それとな~くやらされることもなくなりました。

同時に、それを仕方なく受け入れてしまうことがなくなったので
陰でグチグチ文句を言う必要もなくなったのです。


つまり

「本当はこれがキライなんだけど誰か分かって!」
「きらいなことやらされたけど頑張って耐えたよ!褒めて!」

と言って、
誰かに後から承認して貰う必要がなくなったんです。


今回そのOLさん達のおかげで
「そういう仕組みで私の現実は変わったのか!」
と気付けました。ありがとう!!!
ふとあのカフェに行きたくなったのもそういう理由だったのかも^^


自分の周りは愚痴ばっかり言ってる、
自分もつい人に愚痴りたくなる、
なんて人は

「自分は○○だと思われたくないから
 人前で『私はイヤなことも受け入れる大人です』
 ってフリして自分に嘘ついてないかな?」

と考えてみると、もしかしたら現実が変わるかもしれません。


これは「きらい」にフォーカスする、ということではなく
「これイヤだな」という気持ちを認めてあげる、ということです。

そうでないと、その気持ちはあなたに気付いて欲しくて
ずっと暴れ続けます。笑
繰り返し現れるのです。

「イヤでも受け入れるのが大人なんだよ。」とか
「これは仕事なんだから言われたとおりにやればいいんだよ」とか
「我慢するのが常識のある大人の振る舞いだよ。」

なんてしたり顔で言ってくる人をせっせと作り続けてしまいます。笑

いやでしょう?
いやですよね~
私はイヤです!笑

あなたが「もういやー!」とちゃぶ台をひっくり返すまで
手を変え品を変え、感情をこじらせているのを教えてくれます。


私も今回のことを通して、
もっともっと自分の気持ちを認めて、
自分の真実を語っていこう!(^0^)/ と感じました。


それでは

今日も読んでくださってありがとう❤❤❤


10月9日(日)開催
「好き!」を語るお茶会
Salon de Thé “Mes Bijoux”
締め切りました



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