秋の画像を無駄に貼りたくなる今日この頃。
みなさまこんにちは^^あづさです。
一昨日ふと、
青山の銀杏並木にあるカフェに行きたくなりました。
早速出かけて、仕事を少ししてきました。
青い葉がさわさわしていて、とても綺麗でした^^
カフェで仕事をしていると
隣に座っていた外資系にお勤めらしい派遣4人組が
大きな声でワイワイ話していたので
お話が全部きこえてきたのですが
驚くばかりの内容でついつい「ふむふむ」と聞いてしまいました。笑
どうやら皆さん外国で暮らした経験があり、
日本に戻ってきて取り敢えずそこで派遣しているみたいでした。
そこから聞こえてきた驚愕の?意見はこちら☟
・メールのCCの宛先を偉い順に並べろと言われたが理由がわからない
・そもそも誰が偉くて偉くないのかわからないのに、そんな面倒なことはしたくない
・偉い人に話す時には言葉に気をつけろと注意されたが、そんなことを言われたのは生まれて初めてだ
・人に気を遣うために使う時間を他のものに回した方が効率的だ
・日本社会は意味の無いルールばかりだ
なんて話していました。
多分他の国でも上下関係が厳しい会社ではなかったのと
英語は日本ほど敬語の差別化が無い言語なので(最後にSirをつけるとか)
その辺りもあって余計大変なんだろうな~とは思ったのですが
それを差し引いても
出てくる出てくる、
私とは全然違う観念。笑
聞いていて
「え?CCの偉い順って普通だと思ってた!」
「え?誰が偉いかわかんなかったら知ろうとしないの?
まず最初に相関図的なものを教わらないのだろうか…」
「え?自分よりキャリアが上なら敬わないの?」
なんて思ってびっくりしたのですが
これも観念の差なんだな~、と。
「そういうところもあるって聞いてはいたけど。」
とならずに
「聞いたこと無いよそんなルール!」
ってなるところを見ると
自分が信じているルールが
全く存在しない世界があるんだなあ
と思いました。
これは、私の知っているルールと彼女達のルールの
どちらが正しいとか、どちらが良い、とかいうことではなく
ルールって気付かない内に、
外の情報や自分の思い込みで作っているんだなあ
ということです。
一種の刷り込みとか、催眠のようなものですね。
とても大きな気付きを貰いました。
私は目下、
「好きな観念を持って、要らん観念は捨てる」
をモットーとしています。
自分の持っている観念が好きなものじゃなかったら、
好きなもの、自分が心地いいものに作り替えています。
こうして私達は、自分だけの王国を作ることができるのです。
有り難いですね~^^
★
さらに今回隣のOLさん達の話を聞いていて感じたのですが…
彼女達は文句ブーブーでした。
「わかるわかる!あの人頭おかしいよね!」と。
それを見ていて
「確かに、自分の観念と違うことを強要されると
『私は正しくて相手が間違っている!』と言いたくなるな~(・・)」
と感じました。
そこには私自身が投影されています。
私にもそういう傾向がある、またはあったということですね。
で、何でかな?と思ったんです。
まず
「何できらいな観念にそこまで必死に抵抗したくなるのか。」
と感じました。
そして
「結局は他人の観念なんだから『ふーん。』と思って
放っておけばいいものを、必死に抵抗したくなるのは
“強要されるから” なんだなー」
と考えました。
そこから
「そもそもなんで自分がきらいな観念を
人から強要される現実を作っているんだろう?」
という疑問が湧いてきました。
そこで思考の親玉が出てきました。
「『私はそれキライ。受け入れたくありません。』
って人に伝えるのは、なんか狭量で器が小さくて
ワガママな人みたいに感じる〜(. . )」
という思考でした。
私はそんな「器の大きい人に思われたい思考」でしたが、
「その場を穏便に済ませたい思考」なんて人も多いと思います。
まあ理由はどれにしろ、大事なのは
相手の意向に反対なのに黙って従ったという時点で
相手の観念 > 自分の観念
になってしまっているのです。
これは単純に
「自分は相手よりも大切な存在でありません。」
と
自分の潜在意識に伝わり、
宇宙に宣言したことになります。
そうやって自分の「きらい」という正直な気持ちを
自分自身でジャッジして押し込めていたから
グリグリ強要してくる人が現れていたのだな~、と気付きました。
私はここ数年やっと
誰かに、興味ないことやキライなことに誘われた時
「興味がありません」「それはキライなんです」
「それは納得いきません」「他のものでもいいですか?」
とサラ~ッ♪と言えるようになってきました。
自分の
「それキライなんだよね…」
という気持ちをジャッジしたり、無視するのをやめて
自分にも外に対しても認めることにしたのです。
すると強要されることがなくなりました。
それとな~くやらされることもなくなりました。
同時に、それを仕方なく受け入れてしまうことがなくなったので
陰でグチグチ文句を言う必要もなくなったのです。
つまり
「本当はこれがキライなんだけど誰か分かって!」
「きらいなことやらされたけど頑張って耐えたよ!褒めて!」
と言って、
誰かに後から承認して貰う必要がなくなったんです。
今回そのOLさん達のおかげで
「そういう仕組みで私の現実は変わったのか!」
と気付けました。ありがとう!!!
ふとあのカフェに行きたくなったのもそういう理由だったのかも^^
自分の周りは愚痴ばっかり言ってる、
自分もつい人に愚痴りたくなる、
なんて人は
「自分は○○だと思われたくないから
人前で『私はイヤなことも受け入れる大人です』
ってフリして自分に嘘ついてないかな?」
と考えてみると、もしかしたら現実が変わるかもしれません。
これは「きらい」にフォーカスする、ということではなく
「これイヤだな」という気持ちを認めてあげる、ということです。
そうでないと、その気持ちはあなたに気付いて欲しくて
ずっと暴れ続けます。笑
繰り返し現れるのです。
「イヤでも受け入れるのが大人なんだよ。」とか
「これは仕事なんだから言われたとおりにやればいいんだよ」とか
「我慢するのが常識のある大人の振る舞いだよ。」
なんてしたり顔で言ってくる人をせっせと作り続けてしまいます。笑
いやでしょう?
いやですよね~
私はイヤです!笑
あなたが「もういやー!」とちゃぶ台をひっくり返すまで
手を変え品を変え、感情をこじらせているのを教えてくれます。
私も今回のことを通して、
もっともっと自分の気持ちを認めて、
自分の真実を語っていこう!(^0^)/ と感じました。
それでは
今日も読んでくださってありがとう❤❤❤
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