1/3/16

Different doesn't mean wrong.




2016年がやってきました!
みなさまいかがお過ごしですか。
「なんでもない日こそお気に入りを着る!」
を今年の目標にして実行中のあづさです。
本年もよろしくお願いいたします^^♪


去年は自分なりに色々変化のあった年でした。
2回転職したし。笑
年末には、友人や家族のあたたかさに触れ、
周りからのサポートに改めて感謝出来ました。

そして気がつけばこのブログも1歳。
当初は「友人が1人でも見てくれればいいや」ぐらいの感覚で始めましたが
この1年で沢山の方が訪問して下さいました。
りぬころLICAさんの人気ブログで紹介戴いたこともあり
始めたタイミングでは全く予想していなかった1万8千ビュー!
本当に有り難いです!!

その割にかなりマイペースに更新中。笑
無理しない、が、このブログを始めた時のマイルールだったのです。
今年もマイペースに、思いつくままにやっていきたいと思います♪



さて、最近面白い発想で思い込みを別のものに出来たので
早速シェアしたいな〜と思います!

私は、ついつい、人に上下をつけてしまいます。
人に上も下も無い、あるのは波動の違いだけ、
というのも頭ではわかっているのですが

実際は気がつくと

「あの人は自分より出来た人間」
「あの人はちょっと問題があるな〜」

という風に考えている自分が居ます。

それが全部自分の映し出しだとか
自分が作っているとかいうのも頭では分かるのですが
自分が好きでは無いタイプの人達を
どーーーーーーーーーーーしても
「ちょっとなあ」
と思ってしまいます。今でもありますね。
というか多分、それは無くならないんだと思います。

でも

「あんまり好きじゃ無いなあ」



「あの人は(自分より)問題がある。」

は違いますよね。

「好き嫌い」はあって普通ですが
「上下」を作ると自分も両方体験するわけです。
卑下や尊大さに繋がっちゃうんですね。

だからずっと「上下」を無くしたいな、と思っていました。
ここ1年ほど、ずっと考えていましたが
「上下を作っちゃいけない!」
という考え方は逆効果だとわかっていたので
思い切って

上下を作りまくってみました。(・∀・)

「うわ〜あの人、どうしようもないなあ」
「かわいそう…きっと愛が足らないのね」
「自分が間違っているって気付かないのかなあ」
「レベル低いなぁ…」

抑えずに、思いっきり、そう考えてみました。
そしてつい先日、また「なかなか無くならないなあ」
と思っていたら、突然ある絵が頭に浮かびました。
テキトーですが、こんな絵です☟



わかりますかね?
意味不明かもしれませんが(笑
この絵は、見ての通り、xyグラフです。
そこに書かれているカラフルな棒は、個人です。
各々色が違い、xとyの値も全く違います。

でも、全部同じ長さです。
xやyの値が両方プラスに傾いていても他より長いことはありません。
逆にマイナスに傾いていても、他より短いことはありません。

この棒の長さは「愛としての性質」です。
愛はみんな、生まれついて同じだけあり
みんなが同じ素晴らしさを持って居ます。

ですがこのxとyの値は、見る側面によって変わります。
例えば、仕事の能率では、とか
人とのコミュニケーション能力、とか
集中力、とか、個性、協調性、などなど
全ての人間の能力や側面に於いて、グラフの種類が変わります。
でも、長さは同じです。

つまり、私は自分の中でプラスに傾いているグラフからしか
人を見ていないことに気付きました。
自分が得意なことですね。
自分が好きなこと、自分が胸を張れること、自分がヨシとしていること。

では自分がマイナスに傾いているグラフから見たらどうでしょう。
つまり、あまり得意では無いことです。

それが特技などに関する事なら単純に「すごーい!」と思うでしょう。
「あの人あんなに早く泳げるんだ!私できない!すごーい!」
となります。

でももしそれが、性格などによることならどうでしょう。

「あの人キツい…ああはなりたくない。
 私はもっと優しく言えるもん。」

と思ってしまいます。
ですがその人は「ハッキリしたもの言い」に関しては
ズバ抜けてプラスなわけです。

もっと極端な例にすると
「ものすごく狡猾な人」は
「狡賢さ」においてズバ抜けてプラスです。
右に出るモノはいません。笑

全ての人が、完全な人生のプロセスを生きています。
その課程で、生まれついての違い、生活の違い、文化の違いなどがあり
そのプロセスを通して自分を体現して生きています。
そしてそれこそが個人に違いを生み、世界を面白くしています。

勿論、もっと真実に近づいて話せば
違いなんて無いんですよね。
全てが光で、全てが愛です。

ただ地球には、違いを生んで楽しむためにみんな産まれてきているのです。
ですから、違いを思いっきり楽しめば良いんですね。
ふむふむ☜自分で言って納得。

ですから、これからは「上下」ではなく
もっと純粋に
「好き嫌い」
をハッキリしていこうと思いました。
違いを作って自分で好きな方を選ぶ、
それがいつか「常に光を選択する」に繋がるのでは無いかと思います。

好きなことが必ずしも光だというのではなく、
自分の好きを選んであげること自体が、
自分にとっての光だと思うのです。


大好きな『神との対話』で「神」は

「最大の悪とは『なにごとも悪ではない』と決めることである。」

と言います。
私達は、善悪を自分で作って、常に自分で選べます。
でもその「善」は必ずしも「合法」に適うとは限らないし
「常識」に適うとも限りません。
法も常識も、国や時代によって変わりますね。
これからもどんどん変わっていくでしょう。
良い方向に変わることもあれば、反対のこともあるでしょう。
でも、常に一人一人が自分にとっての「光」を選択することが出来ます。
それが愛からの選択であれば、必ずベストな選択となるのでしょう。


あらなんだか長くて仰々しい話になりました。
とにかくそんな気付きを得た年末でした!(無理矢理なまとめ感)

新年早々長い記事にお付き合い戴きありがとうございました^^


年賀状を紙から選んで印刷屋に出すという長年の夢(?)を、
遅すぎてグリーティングカードにして叶えたあづさでした〜。
まあ、そんなんでも叶えたからよかたい!

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