1/15/17

ヴェネツィアに行きたい



こんにちは!あづさです^^

冬もいよいよ本気出してきましたね!
東京、さむいです!!!(北の人に笑われそうですが…

私は毎年冬になると
「もっとあったかいところに逃げたい~。」
なんて考えます。
でも南国に興味が無いので、
結局どこに逃げたら良いかわからないという。笑

でも反対に、冬だからこそ行きたい場所があります。
それがヴェネツィア。


私は19歳の冬に、生まれて初めてヴェネツィアを訪れ
この街の持つ力に心を奪われました。

夏は観光客が運河に落ちそうなほど犇めく街ですが
ヴェネツィアを愛する人々の文献を読むと
やはり皆口を揃えて「ヴェネツィアに行くなら冬に限る」と唱えています。


先日、本棚に並んでいる背表紙の中で、
書店のカバーがかかったままの本に目がとまりました。
毎日目にしている筈なのに
「この本は何の本だっけ?」と考えることもありませんでした。

カバーは、私が13年前に働いていた書店の物で、
どうやらその時に購入したもののようです。

カバーをめくってみると、この本でした。




これは私の敬愛する作家、須賀敦子さんの生きて辿った軌跡を
街や国ごとに他の作家さんが辿ってゆくシリーズです。

私が書店で働いていた頃に始まり(一冊目はミラノだったような)
これは2冊目の「ヴェネツイア」。
このあと、ローマ、トリエステ、フランスと続きます。
全部持っているはずなのですが、他のは多分押し入れの中かな~。





高校時代に伯母から
「きっと好きだと思うよ。」と須賀敦子を薦められたものの
好きになったのは大学も終わりの頃。
私がヴェネツィアに行った時には、須賀敦子熱は間に合いませんでした。


生まれながらに理知的であり、
幼い頃より親しんだキリスト教の世界観から
おおきく影響を受けた須賀さんの文章は、

彼女らしい洞察力と人間世界への深い愛情、
自分自身に向けられた、冷静で、時として距離のあるまなざし、
自分らしい道を模索するさなかの孤独と、
そうして他人と分かち合えないが故に透きとおってゆく魂の歓び、
その狭間でバラバラになりそうな自分を繋ぎ、強く貫く、
彼女の中の神への祈り、

そういった、愛おしくいびつなガラス片のようなもので作られた、
ときにヨーロッパの片隅の名もない小さな礼拝堂でふと出会い、すっかり心を奪われてしまう
そんな、美しいモザイク画のようで、

私が、まだとても未熟で、サバの言う
「まだ逸る精神と 人生へのいたましい愛に流され」ていた頃
私の心の部屋の壁に、くっきりとその影響を残しました。


須賀さんは61歳で、出版業界に大きな衝撃を与えるデビューを飾り
69歳で永眠されるまで執筆を続けました。
なんだかまるでゴッホのようです。

この本のシリーズは須賀さんが書いたものではなく、
須賀さんを愛し、且つその土地に馴染みの深い作家達が執筆しています。

特にこのヴェネツィアの回は
須賀さんが晩年まで教鞭を執っていた上智大学出身の
大竹昭子さんが執筆されていらっしゃって、
行間から須賀さんの作品への強い愛情が溢れ出てくるのを感じます。
須賀さんの人生への深い理解に支えられているので、
須賀ファンが読んでも納得の一冊。

久しぶりに読み返すと、13年前には感じなかった
大竹さんの素晴らしい筆致と、
その中に編み込まれた須賀さんから受けた影響を読み取ることが出来
文章を大切に読む、ということを久しぶりに体験しました。



あれ、冬のヴェネツィアについて書きたかったのに
気がついたら須賀さんについてになっていました。笑
好き過ぎてすぐ語っちゃう!爆
ちょっと話を戻して…



ヴェネツィアの忘れられない風景は
夜霧の中の運河を、舟で陸地へ戻った時の光景です。

土地柄、朝と夜に霧が立ちこめることがあるのですが
夜霧の中では街灯や船着き場の明かりが霧に滲んで
一段と幻想的な姿を見せます。

この霧の中、運河からヴェネツィアを去って行くと
まるで本当は存在していない街がどんどん夢の彼方に消えてゆくような
もう二度とこの街を見つけることは出来ないのではないか、という
うたかたの幻のような感覚に襲われます。

運河が客席ならヴェネツィアは舞台。
居並ぶ建築物はまるで役者のように、このひとときの為に
運河に向けて体裁が整えられたような造りをしています。

この書き割りのような「舞台」が、
舟の揺れに応じて、少し斜めになったり、宙に浮かんだりしながら
ラグーナの果てへゆっくりと消えてゆく様は、
一度見たら生涯忘れられない体験となります。

霧自体は冬以外でももちろん出るのですが
冬のヴェネツィアは観光地としての体面を脱ぎ、
そこに生きる人々の日々の営みの中に自分を置くことができます。

そもそも、ヴェネツィアとは
砂州の中に打たれた無数の杭の上に成り立つ
実際には島でも街でも無く、一夏だけの間に合わせの舞台のような
圧倒的な非日常感を持つ場所です。

過去、仕事、人間関係、
自分がしてきたこと、自分を支えていたもの、自分を創っていたもの。
そういった、人間が生きるのに必要不可欠で
ときにしがらみにすら姿を変える、私達を人たらしめているもの。

それらを一度リセットし、
自分自身と向き合い、再構築してゆくのに
冬のヴェネツィアほど最適な場所は、私の中に存在しないかも。

この本に登場するのも、人もまばらな、冬のヴェネツィアです。
そうして私の「冬になるとヴェネツィアに行きたくなる病」が
すっかり末期症状になったというわけです。

年末辺りから、ずっと自分自身について考え巡らせ
倦んでいる状態を打開したくてたまらない今
私は、ヴェネツィアに行きたい、と日々ぼんやり考えています。




この本を読んでいたら、表記がリラになっていてびっくり!
そうか~確かに€になったのって結構最近ですもんね。
私がベネツィアに行った時もリラだったのですが、
それから5年後にカプリに行った時はすでに€で…

何だかやっぱりイタリアの、あのリラの時代…
各地に貧しさがまだ残り、人々が一生懸命手作りで人生を積み上げていた
あの時代の匂いが少し恋しいです。

凍てつくような冬の霧の中、
牛乳缶を載せて走る馬車の姿が忘れられません。

完全に無責任な発言ですが…


でもヴェネツィアの冬、寒いです、めっちゃ。笑
アックア・アルタ(高潮)も冬が最も多いですし
観光気分で明るく楽しく行きたいなら、
あまり参考にしないで下さいね…念のため…^^;



それでは、今日も読んでくださってありがとうございました

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